2020年秋・コロナ禍の日本一時帰国へ至るまでの覚悟とストーリー

こんにちは!はねうさぎです。

実は今、日本に来ています。

「え?!!!こんな状況の時によくも・・・自分勝手な人!」

と思うか

「え?!いいなあ・・・私も年末年始帰りたいと思っているけど悩んでるんだ。」

と思うかは皆さまの状況によって違う事でしょう。

本日は、賛否両論あるとは思いますが、夏に一時帰国した友人やその友人・知人の方の口コミも参考にしながら(意外とみなシレっと帰ってるんですねw)あんなに新型コロナウイルスを怖がっていた自分が、なぜ日本へ一時帰国しようと思ったのかといういくつかの理由を書きます。

また、後日、入国に当たってのコロナテストのことや、空港、飛行機の機内の状況、自宅待機などを別記事にしてお伝えしたいと思っています。

批判したい方もいるはずで、それはそれで気持ちはわかります。

ただし、これは完全に私のプライベートな事であり、ここに書くべきかは悩みましたが、今、日本に来てとってもハッピーなので、もし同じ様な状況で困っている・苦しんでいる方の参考になればと思い、決意しました。

ぜひお付き合いください。

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目次

コロナストレスの序章:2020年5月ドイツ一回目のロックダウン

メルケル首相が今年の5月にドイツのロックダウンを決定し、私達はスーパーマーケットや薬局での必要最低限の買い物や通院などの外出以外は「ステイ・ホーム」を要請されました。

私達は、イタリアで一番初めの感染者が報道された時に「これはドイツにもすぐにやってくる」と判断し、少しづつ備蓄を増やしたり外出を控えたりしていました。

アジアは少し早めだったものの、ヨーロッパの他の国やアメリカ(一部の州)やカナダもほぼ同じタイミングでロックダウンとなったため、ロックダウンになってからは、今までなかなか話せなかった北米にいる友人達とチャットしたり、日本にいる友人達とビデオ飲み会をしたりしてそれなりに家での時間を楽しく過ごしていました。

そう、この時私は、ほとんどロックダウンのストレスは感じませんでした。何と言ってもドイツの超田舎に住んでいて、普段もほとんど人とは会わなずに家にいる生活だったからだと思います。

ある友人は、ステイ・ホームが落ち着かなかったらしく「何かやりたい何かやりたい」と常に言っていましたが、私は、普段はできない掃除、時間をかけた手作りの料理を作る、貯まった書類をじっくりファイリングする等やりたいことが沢山あったので、当時はさほど苦には感じませんでした。

ただ、この5月のロックダウン、ドイツ政府は当初「2週間の予定」と発表しており、それが1か月・・・2か月・・・と、感染者数の拡大とともにロックダウン期限もたびたび延期されました。

個人的に家にいて一番つらかったのは、手荒れです。

はねうさ夫は、自営業で、家とは別の場所にオフィスがあり、従業員はいない(私がたまにお手伝いする程度)為、彼が家にいる時間も長くなりました。

つまりそれは、私が家にいる間の毎日のお掃除に加えて3食の食事の準備と片付けが必須になる事を意味しています。

以前、私は洗剤アレルギーによる手湿疹に悩まされている事を書きましたが、このロックダウン中に眠れないくらい酷くなり、始めは湿疹ことをはねうさ夫に訴え、食器洗いを手伝ってほしい事、たまにはテイクアウトやデリバリー、冷凍食品で済ませる事を提案したのですが、すべてはねうさ夫から却下されました。

私達夫婦の共通の趣味は旅行ではあるものの、2人共美味しいものやお酒が大好きなので、お料理の手抜き(?!)は、夫にとっては許されないことの様でした。

これは結婚した時から専業主婦で今は「スーパー主婦」の義理母の恩恵でもあり、害悪でもあります。はねうさ夫にとっては「スーパー主婦」の義理母の家庭しか知らないわけですから仕方ありません。

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ドイツに20年以上在住の日本人友に事情を簡単に話し、「日本人感覚で『まとも・おいしい』デリバリーかピックアップのレストランを教えて欲しい」と連絡すると、「はねうささん!食事より手荒れの方が心配です。はねうささんは優しすぎますよ!私なら旦那からそんなこと言われたら夕食に缶詰めだけ出しちゃいますね」と言われました。苦笑

そうか~、海外在住妻はこのくらい強くないと?!やっていけないのかしらね(笑)

結局、「夜も眠れないくらい辛い」とはねうさ夫に訴えたら、皮膚科をすぐに予約してくれ、食事のピックアップも一度だけ試してみて、私たちの一回目のロックダウンは終了しました。

長くなりましたが、二番目につらかったのは、レストランやショップが閉まってしまい、散歩以外のアクティビティができなかった事、友人など人に会えなかった事、もちろん旅行ができなかった事もストレスでした。

コロナストレスの絶頂その1:「マスクは政府のプロパガンダだ!」

夏にロックダウンは解除されたものの、ある時にアメリカのCDCが「リサーチ結果によるとウイルス対策にマスクには一定の効果が期待される」と発表し、英米のメディアが手のひらを返したように「マスク至上主義」を訴え始めたことから、ドイツのロベルト・コッホ研究所もまるで右ならへのようにマスク着用義務について発表しました。

それまで、ステイ・ホーム中に見たSNS上で、ほぼ毎日目にする「アジア人差別」に心を痛めていた私には、「やっと欧米もマスクを認め始めたか!ヨシ!」という気持ちがありました。

そのころ、はねうさ夫も「中国は別として、なぜアジア諸国の感染者数・死者数が抑えられているかというと、ぼくはマスクだと思うんだよね!」と持論を展開し、友人にもスカイプでそのようにドヤ顔で語っていました。

しかし、状況は一変します。

ドイツ政府が、国民にマスク着用を義務化すると、突然、はねうさ夫の態度(心境?)に変化が起こります。

「僕はマスクなんか着けたくないし、着けない!」

「え?この間までアジアのマスク文化がウイルス蔓延のストッパーになっているに違いないってドヤ顔で友達にスカイプで話してたよね?」・・・私には意味不明でした。

毎朝焼き立てのパンを食べることにこだわっている夫は、毎朝パン屋さんへ買い物へ行き、私達の朝食の準備をしてくれていたのですが、マスク着用が義務化され、ある時から行かなくなりました。

理由を聞いてみると、パン屋さんとケンカしたというのです・・・そう、マスクを着けずに入店し、店員さんに注意され、怒ってもう買わない!と暴言履いて去ってきた・・・みたいな。怖

で、どうやらこれが、村にある3件すべてのパン屋さんでコトが起こり、ある時はガソリンスタンドでも起こり、ある時は私と一緒に買い物へ行ったスーパーでも起こりました。泣

「僕が買い物かごを持っていなかったという理由でスーパーのセキュリティが突然僕の進路をブロックして顔の前で話し始めたんだ!ソーシャルディスタンスも無かったんだよ!悪いのはあいつだ!もっとフレンドリーに話しかける事も出来たはずだろう?!クズオめ!」と、超アグレッシブに怒っていました。

その時、はねうさ夫はスカーフで口を覆っていたものの、それが骸骨の模様でして・・・ヒーロー戦隊のマスクじゃあるまいし、それダメでしょ!・・・まあ、両方の言い分はあるでしょうけど、個人的には何故はねうさ夫がそんなに「暴れて」いるのか理解できませんでした。

後日、色々な人から話を聞くと、「うちの夫も」とか「僕はスーパーに行って、レジの人に『モノを売りたくないのか?』と聞いたくらいだよ」とか、こういうハプニングは結構あったようです・・・ドイツ人よ~!

私の日本人的発想だと「お願いだから、他人と波風立てないで欲しい!マスクさえしていれば誰も何も言わないのに何故それができない?!」という思いでした。

そう、ドイツ人の辞書に「仕方ない」、「しょうがない」の文字はないのです。

コロナストレスの絶頂その2:嵐がやってきた「政府のコロナ対策に反対するデモに参加するためにドイツへ一時帰国する」

一旦ロックダウンが終わり、サマーバケーションやガーデニングを楽しんだドイツ人達。

私達夫婦も、仕事でベルリンへ行ったり、キャンプに出掛けたり、近隣諸国のポーランド、チェコ、オランダ、オーストリアへ車で旅行しました。

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一時のハッピーだった時間はあっという間に終わり、私は地獄に突き落とされました。

実は私には南米に住む義理妹がいるのですが、彼女が本来今年の夏に2年ぶりのドイツ一時帰国をすることになっていて、家族で色々と予定を立てていたのですが、コロナですべて予定は未定となっていました。

そんな時、彼女の住む国のロックダウンが解除されることとなり、それに合わせてドイツへ一時帰国する!と連絡が入ったのです。

義理妹は頭もいいし、面白いし、大好きなのですが、今回は事情が違っていました。

ロックダウン中に何度も「マスク反対のFacebookグループ」への参加を促されたり、ある権威あるドクターの「このウイルスは大したことない」的な(一応研究に基づいたソースがあるらしいですが)動画を送ってきたりしていました。

私は「リンクありがとう、でも申し訳ないけど、私とあなたは意見が違うようだね」と言ってからは何かメッセージを送ってくることは無くなったのですが「このウイルスは風邪だ!」「私はこのウイルス騒動は信じないし、世界の混乱は茶番劇だ」的なやり取りを、ロックダウン中にはねうさ夫とずっとやり取りしていたらしく、「ドイツに一時帰国したらデモに参加したい。デモに参加する為だけにドイツに帰国してもいいくらいだよ」という話を聞いた時には・・・ちょっとこれは行き過ぎだと思いました。

そのころから、はねうさ夫のマスク着用義務に対する反発がエスカレートしていき、外出時の規制や集会を開く際の規則が日々アップデートされていく中、私達夫婦は次第にケンカや言い合いが多くなっていきました。

いや・・・多くなったというより、毎日、毎時間、「マスクマスク」とマスクを馬鹿にする発言を聞かされ、政府の方針に疑問を投げかける夫。

ファッションには全く興味がないのに、わざわざマスク反対を示唆するTシャツを自らデザインし、ネットで注文までしていた夫。

呆れてしまいました・・・。

呆れたことは他にもあります。

義理父が、ある理由で1週間ほど大学病院に入院したのですが、お見舞いには家族1人だけしか許可されず、マスク着用必須でした。

その時に「マスク着けなきゃいけないからお見舞い行かない」と言い放った時には、人間性を疑ってしまいました。

確かに考え方によっては、命に別条がない要因だったので、逆に病院へお見舞いへ行く人が増えた方がリスクが高まる可能性もあるとは思います。

ただ、マスクに対しては、私が、最近のリサーチによって効果が一定数認められている事、また、先日医者や看護師の友人と話した時にマスクを「Maulkorb」と呼んでいることに対するリスペクトの無さにがっかりしているという事を伝えたのですが、「とにかく僕は嫌なんだ!」「あんなの政府のプロパガンダだ!」「国民をコントロールしようとしている!ヨーロッパは自由な国のはずだ!」等々、とにかく「嫌だ嫌だ」の一点張りで、お互いにこの話になると感情論になってしまい、会話が成立しません。

>>あわせて読む(以下にMaulkorbについての事が書いてあります)

はねうさ夫は、通常は温厚な性格でとてもやさしいのですが・・・私はどうしていいかわからなくなっていました。

さて、台風の目である義理妹がドイツへ到着し、始めはパートナーさん方のお宅に宿泊していたのですが、いよいよこちらにやってきました。

その時に、2度、「政府のコロナ対策に反対するデモに一緒に行かない?ランチごちそうするから」と誘われたのですが、きっぱりとお断りしました(苦笑)

いやー、マジで、筋金入りすぎる。

日本人ならマスクに対する抵抗はほとんどないとは思うし、言い方は悪いけど、マスクさえしておけば誰にも文句を言われないから楽だな~と思うのですがねえ。

また、はねうさ夫兄妹はとっても仲がいいので、義理妹が滞在中は何度も義理両親の家に行き、家族で食事をしたのですが、どうしても、政府のコロナ対策やマスクの話になってしまいます。

ただでさえ、ドイツ語会話中に地蔵のようになっている自分のツライ状況に加えて、私の感情をボロボロにする(私は1%でも効果があるならマスクしてもいいんじゃないか?と考えています。もちろん周囲に人がいなかったらつける必要はないと思いますが)会話の内容で、私の怒りは頂点に達しました。

家族の中では、私と義理母がマスクや政府の方針に対して考え方が似ているので、どうやら私がいないときに、義理母が義理妹を説得しようと頑張ったようなのですが、義理妹の考えは変わらなかったようです。

そんな義理母を見て、はねうさ夫が両親をからかうような発言をした事に私はブちぎれました。

で、私たちは義理妹の前で夫婦喧嘩w

今思えばちょっと笑い話?ですが、その時は、夫に対する愛情がサーーーーっと静かな音をたてて引いていくのを感じ、私は泣きながら「このままの状況だったら離婚するからね!私はもう日本へ帰りたい!!」と言ってしまいました。

ちなみに、彼が「プロデュース」した、マスク反対のデザインTシャツは捨ててはいないのですが、永久にお蔵入りにするために隠しました。あると着ちゃうからね。

コロナストレスのその後:この状況を打開し自分がハッピーになる方法は日本一時帰国しかないと考え始める

しばらくの間、本当に本当に、はねうさ夫に対する愛情が冷めてしまっていました。

いや~夫婦ってホント不思議です。始めは永遠の愛を誓うしそれを信じてはいるものの・・・ま、人生ってそんなもんです。

また、義理妹が居住国へ戻ってからは束の間の安らぎがあったのですが、はねうさ夫がイギリスにいる彼の大親友とスカイプしているときに、私はまた大爆発してしまいました。

理由は、出かける予定をしていたその時間に予告も約束も無く突然スカイプで電話がかかってきて、はねうさ夫がそのまま会話を始め、待っている私をよそに「あと30分だけ」、「あともう1時間」と言いながら、反政府・マスク反対の論理を楽しそうに話していたから。

親友くんには申し訳ないけど、何となく、マスクを馬鹿にされている=アジア人を馬鹿にしてるんか~~~?!という印象と、とにかく私はもうその会話、言葉を聞きたくもない!という領域に達していて、大人気も無くぶちまけてしまった・・・という結果になってしまいました。

アンガーマネージメントの本でも読むかな?!苦笑

さて、私の夫に対する愛情が薄くなっていることをおそらく彼自身も感じ取っていたようで、ある日食事をしていたら、彼が話始めました。

「マスクに関してはお互いに意見が違うのはお互い知っているから話の内容は気をつけよう。そして、夫婦だから山あり谷ありなのは僕の両親を見て来ても理解しているし、夫婦だからいいことも悪いこともある。

僕がだらしなくて僕を非難したい時も沢山あると思う。だけど、今後一切、家族や友達の前で僕を非難しないで欲しい。僕も悲しいし恥ずかしいし、周囲に君のイメージが悪くなるから君にとっても損だよ。

今、僕が一番怖いのは、この状況で君の僕への愛情が無くなる事なんだ。僕は死ぬまで君と一緒に居たいから君に幸せでいて欲しいし、お互いにハッピーになるために何をしたらいいか一緒に考えたい。

日本へ一時帰国したいならそれでもいいよ。もともと君がドイツへ移住するのは毎年必ず日本へ帰ることが絶対条件だったから明日チケットを見てみようよ、僕も日本へ行きたいし約束は守りたいから。」

と言ってくれました。

10月には、サマータイムも終わり毎日がグレーで寒い日が続いたのも原因のひとつかもしれませんが、ドイツで感染者数がジワジワと増えてきて、規制が厳しくなりつつある日常にもストレスだったと思います。

9月~10月は、更年期始まったかなーと思うくらいにすぐにスイッチが入っていつもイライラしている状態だったので、ビタミン剤と亜鉛のタブレットをすぐに買いに行き、夫から言われたことも考慮して大分落ち着きました。

その後はいつ、どれくらいの期間日本へ行くのかと決める必要がありました。

ちなみに、私は、政府情報は勿論確認していますが、Youtubeやブログ、SNSなどで情報収集しています。

このダイスケさんと言う国際恋愛している方のチャンネルなどが参考になりますので、ドイツから日本への一時帰国を考えている方だけでなく海外旅行へ行きたい方なども参考になると思います。

コロナストレスの一筋の光:日本一時帰国大作戦のはじまり

私達夫婦は毎年年末年始に日本へ一時帰国していました。

今回、日本へ帰国するにあたり、ネックになったこ事は大きく3つあります。

1)両親の温度感を確認すること

2)14日間の自主隔離をどうするか確認すること

3)日本人の配偶者は入国できるはずだがどこまで制限されるのか確認すること

私の一番の希望は、年末年始を両親や兄弟の家族と過ごしたいことと、いつものように親戚や従妹に新年のあいさつをし、神社へ初詣に行くことでした(私は神道を信仰しています)。

おそらく多くの方にとってツライ一年になった2020年だと思いますが、今思えば、こんな「当たり前」と思っていたことが「当たり前じゃなくなる」なんて悲しい気持ちとショックしかありません。

そしてまずやった事は、母親に連絡して、家族がコロナに対してどのように考えているのかを確かめることにしました。

と、いうのは、「今年は日本へ帰国しない、なぜなら家族があまり歓迎ムードではないから」という友人の声を聞いていて、自分勝手な思い込みですが、「うちの家族はそんなことないだろう。一年に一度しか会えない娘が帰ってくるんだし、いつも通りのお正月が迎えられるかな?」と考えていたのです。

また、夏に一時帰国しようが悩んだ時に「今は止めておいた方が良い、お正月に会いましょう」と、母親から言われていたので「じゃあ、お正月だね」と自分の中で考えていました。

ところが、両親からは完全拒絶の反応・・・面喰ってしまいました。

私の一時帰国は、家族に歓迎されていない・・・、とても悲しくなりました。

ドイツの義理両親もびっくりで、やはりここは家族への絶対的信頼関係がある場合とそうでない場合(そういう事でもない?)で、リアクションに差があるなあと実感しました。

日本の報道を見たり聞いたりすると、夏の帰省期間中に海外ナンバーや東京から帰省してきた人たちに対しての心無い言われようや、犯罪まがいの脅迫・差別・焼き討ち等に心が痛んでいました。

「県外ナンバーで嫌がらせされるんだから海外からの一時帰国者ってもうアウトじゃ?」と考えるようになりました。私たちは何も悪いことしてないのにね。

また、田舎だとやはり、発症して回復しても周辺の目が気になる様で、人知れず引っ越してしまう人もいたと聞きます(怖)ドイツの村社会もかなり怖いものが有りますが、日本の村社会も、やはり怖いです。

というわけで、実家へ帰れないとなると、「年末年始の帰国は無理」、「帰国しても家族に会えないかもしれない」、「他の友達やビジネスパートナーさんはどうだろう?(年始にいつもご挨拶を兼ねてミーティングを行っている為)」という葛藤がうまれ、また、宿泊費をどのように賄うかが課題となりました。

また、空港からは「公共交通機関の使用をしない事」が入国の条件となっており、仮に実家の両親がOKしたとしても、空港からタクシーで行ける距離ではないので非現実的です。(空港直通シャトル などもあります)

そんな時、友人が「我が家、たまたま今部屋がひとつ空いてるけどウチくる?」とオファーしてくれたので、友人宅へお世話になる事にしました。神だ!

はねうさ夫には申し訳ないけど、コロナ禍が収束するまで別居したいくらいの気持ちの私は、日本で癒されてきます度1000%!

また、以前から特にドイツに愛着があるわけでもないのですが、コロナで益々ドイツと言う国への愛情が無くなっており、「ドイツを離れてしばらく日本に居たら、ドイツの良い所が見えるかもしれない」とか「ドイツ語もっと勉強したくなるかも」とか勝手な妄想と期待もあったので、少しの間ドイツとあの村、家庭を離れた方が、私は頭がおかしくならず鬱病や自殺とかするリスクが下がるはずというポジティブな憶測をもちました。

最終的に、法務省発表のホームページを見ると、日本人は勿論、外国人の入国も条件付きで可能と記載されています。

ただ、周囲でもドイツ人夫と一緒に最近一時帰国したという情報もなかったので「14日間の待機要請がある」、「日常生活でのマスク着用文化」、「家族に会えないかもしれない」ことと「入国拒否されたらどうしよう」、という理由で、はねうさ夫はドイツに残り、私が一人で11月に日本へ一時帰国することに決めました!

現在は、友人宅で自粛中でこの週末で待機は終了します。

念のため、この一覧表がわかりやすいので、ご参考までに画像だけ貼っておきます。

参照:外務省HP

長くなってしまいましたがここまで読んで下さり、ありがとうございました。

次回はいよいよ、フランクフルト空港から日本上陸までをお伝えします。

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