リガ観光のモデルコース!1日で旧市街地からアール・ヌーヴォーまで【午前編】

こんにちは!はねうさぎ(@haneusagi_com)です。

はねうさ夫が出張で不在となることがわかり、バルト三国のうちの2か国(ラトビアとリトアニア)へ一人旅に出る事にしました。月曜日の夜に出発して土曜日夕方ドイツに戻ると言う弾丸プラン。

フランクフルト空港からラトビアの首都・リガ(Riga)へ飛びましたが、ホテルのチェックインがほぼ深夜だったので、リガ市内の観光リミットは丸一日しかないスケジュールでした。

今回は、実際に私が歩いた1日で観光可能なラトビアの首都リガのモデルコースを午前と午後と2回に分けてお届けします。

この記事は、ホテル出発からの午前の半日編(1日分を書こうとしたらかなり長編になったためAM/PMに分けます)ですので、街歩きや観光のご参考になれば幸いです。

なお、一人旅といえども食いしん坊ぶりを発揮していますので、レストラン情報は、以下別記事からどうぞ!

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目次

ラトビアの首都リガについて-場所は?どんな街なの?

ラトビア共和国(通称ラトビア)は、北ヨーロッパの共和制国家です。

  • 総面積約6.5万 km2、人口約189万人(2021年1月時点)
  • 首都:リガ
  • 通貨:ユーロ(2014年から導入)
  • 公用語:ラトビア語
  • 欧州連合(EU):2004年加盟
  • 北大西洋条約機構(NATO):2004年加盟

ラトビアの首都であるリガは、文化施設も多く、数多くの博物館やコンサート ホールが集まっています。

またアールヌーボー様式の建築物(これは知らなかったのでとても良い新しい発見でした!)が多数あり、リガの旧市街地では中世の趣を感じられます。

歩行者天国になっている旧市街には、多くのショップやレストランの他、バーやナイトクラブが並ぶ賑やかなリーヴ広場があり、散策にピッタリ。

13世紀にハンザ同盟に加盟して急速に発展したリガには、「ハンザスタイル」とも言える建築様式の建物が点在し、美しいリガ歴史地区(旧市街地)は、世界遺産に登録されています。

そんな美しい旧市街地のあるリガですが、第二次世界大戦でドイツ軍と旧ソ連軍に翻弄された歴史もあります。

フィンランド、エストニア、リトアニアなどとともにバルト海東岸に位置する国の一つで、日本ではエストニア、ラトビア、リトアニアの3つの国を「バルト三国」と呼ぶことが多いと思います。

その、北隣のエストニア、南隣のリトアニアを含めたバルト三国は、1940年にソビエト連邦に占領・併合され、ソ連崩壊に伴い独立宣言をしました。

ラトビアは1990年5月に独立しています。

第二次世界大戦が始まると、リガはまずソ連に、そしてナチス・ドイツの軍事占領を経験する。大戦中、バルト・ドイツ人はドイツ本国に脱出し、リガ・ゲットーにいたユダヤ人は銃殺されるかカイザーヴァルト強制収容所送りとなった。1945年にソ連の赤軍が再度リガに軍事侵攻し、ラトビア人を大量に処刑したりシベリア送りにしたことから、市の人口は3分の1にまで激減することになった。その代わりにソ連政府はロシア人をリガに集団移住させ、リガ市の民族構成は一変してしまうが、1991年にはラトビアは独立を回復し、リガも首都に返り咲いた。

旧市街地が世界遺産に登録されたのも、ロマネスク、ゴシック、バロックなどの建築様式が混在する、歴史的学術的価値の高さによる。ソ連支配の時代、旧市街の開発は不活発であり、これが街並み保存に寄与したとみることもできる。バルトのパリと呼ばれる。
by Wikipedia

実際、統計によると現行でもロシア系住民がおよそ4割おり、リガへ向かう飛行機内でもロシア系が多かった印象で、旧ソビエト連邦形成国のひとつですからロシア語も通じます。

お店や博物館などには大抵、ラトビア語、ロシア語、英語表記があります。

【リガ観光プラン】朝9:00前オペラハウスからリガ大聖堂の12:00オルガンコンサート~ランチまで

朝8:30過ぎにホテルを出発し、旧市街地に歩いて向かいます。

私の泊まったホテルは「Ibis Center Riga」で、旧市街地からも中央駅やバスターミナルからもアクセス良好だったので、このホテルの立地は素晴らしかったです。様々なホテルサイトの価格を比較し、一番安かった公式サイトから直接予約しました。

まず午前中は、

  1. オペラハウスの横を通り
  2. →自由の記念碑
  3. →ライマ(Laima)の時計台
  4. →火薬塔(ラトビア軍事博物館)
  5. →スウェーデン門
  6. →リガ城
  7. →聖母受難教会(Our Lady of Sorrows Church)
  8. →聖ヤコブ教会
  9. →三人兄弟
  10. →聖ペテロ教会
  11. →ブラックヘッドハウス
  12. →リガ大聖堂へ12:00前に到着
リガ1日観光の午前中のモデルプラン ©haneusagi.com

1番から12番までを、ホテルの出発から地図上に印をつけてみました。

これだけを道に迷わず一気に歩くと約45分(Map上の案内で)とのことですが、写真を撮ったり、博物館を見たり、教会内を見たりすると時間がかかりますので、興味のあるものに時間をかければ良いと思います。

ちなみに、リガ大聖堂のオルガンのコンチェルト・ピッコロ(ミニコンサート)は20分間で、チケットを購入して(または事前購入)教会の中に入ります。

©haneusagi.com

私は、事前にオンライン予約でチケット(10.70ユーロ)を購入しておきましたが、当日窓口で買っている人もいました。

日程が確実に決まっていれば、オンラインがおススメです。

ほぼ毎日12:00からコンチェルト・ピッコロ(20分間のオルガン音楽)、シーズンや日にちによっては、12:00と15:00の2回、金曜日には19:00からイブニングコンサートや別イベントもあるようですので、詳細は、リガ大聖堂のホームページをチェックして、自分の予定や興味に合ったプランを立てましょう。

教会と隣接して修道院とお庭もあり、教会の中から行けるので、ぜひそちらも見逃さないようにしましょう。

オルガンコンサートのチケットも、リガ大聖堂のホームページから購入できます。

ここからは、正午のリガ大聖堂から時間をさかのぼって半日の観光スポットをご紹介します。

リガ大聖堂(Riga Cathedral)

©haneusagi.com

中世のルーテル教会。ロマネスク様式、初期のゴシック様式とバロック様式の建築要素が採用されています。

リガ大聖堂(Rīgas Doms)は見学可能です:

  • 月曜日~土曜日10:00~17:00
  • 日曜日14:00~17:00
  • 入場料大人:5ユーロ
  • 入場料11~18歳の子供:3ユーロ
  • 10歳以下無料

ブラックヘッドハウス(House of the Blackheads)

©haneusagi.com

ブラックヘッドハウス(House of the Blackheads)は、ラトビアのリガの旧市街にあるリガのアイコニック的な建物です。

オリジナルの建物は、リガの未婚の商人、船主、外国人のギルドのために、14世紀の前半に建てられ、主な工事は17世紀初頭に行われ、マニエリスム様式の装飾の大部分が加えられました。さらに、1510年に初めてクリスマスツリーが飾られた場所でもあると言われています。

その後、1941年6月にドイツ軍によって爆撃され廃墟と化した建物は、1948年にソビエト軍によって取り壊されましたが、1996年から1999年にかけて、再建プロジェクトを希望する人々からの寄付金により再建されました。

そして、2012年から2016年までは、リガ城が改築中であったため、一時的にラトビア大統領邸ともなっていました。

第二次世界大戦とソ連占領時代を生き延びた唯一のオリジナル部分の地下部分は、1990年代初頭までは地下に埋待った状態であったため、見ることはできませんでしたが、現在、歴史的な地下室は、リガ旧市街の本物の地下を歩くことができる数少ない場所のひとつであり、遺構、壁の破片、床、木製の階段はオリジナルのもので、その一部は14世紀にまでさかのぼります。

現在ブラックヘッドハウスは、リガの商業や歴史に関するインタラクティブな展示が行われている博物館となっています。

  • 営業時間
    毎日10:00~17:00
    入場券+コーヒー:8ユーロ
    入場券+スパークリングワイン:9ユーロ
  • HPからチケット購入可能:https://www.melngalvjunams.lv/en
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