「リトルベルリン」東西ドイツに分裂された平和な村メドラロイト

Germany

こんにちは!はねうさぎです。

おそらく、日本人のほとんどがこの「メドラロイト」というドイツの片田舎の名前を知らないことでしょう。
私も知りませんでした。

ドイツの歴史は、多くの方がある程度知っていると思いますが、ユニークです。

その中でも、一番大きなインパクトを与え、今でもドイツ人の心の中や生活に影響を及ぼしている、東西ドイツの分断という歴史。

首都のベルリンが東西ドイツに分断されていたことは多くの人が知っていることでしょう。

今年2019年は、ベルリンの壁が崩壊してから30年が経ちます。

ただ、同じ町が2か国に分断されたのはベルリンだけでなく、ドイツ国内にもう一カ所ありました。
それが、メドラロイトと言う街です。

今では、平和でのどかなこの村には、「Deutsch-Deutsches Museum Mödlareuth」というドイツ統一博物館とかドイツ国境博物館とか日本語では訳されていますが、2つのドイツがまた1つになったことを意味する博物館があります。

こちらへ行ってきたので、少しだけ、ドイツの歴史と博物館について書こうと思います。

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今更もう聞けない?!そもそもなんでドイツは東西2つに分かれたのか

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ドイツへ移住してきて、移民向けの「オリエンテーリングコース」という授業を受講しました。

この時に、ドイツの政治、経済、歴史、文化、宗教などを学ぶ機会があるのですが、その時に、ヒットラーが力をつけてくる時代から第二次世界大戦~敗戦から東西ドイツ分断~ドイツの統一、そして連邦共和制ととるまでの歴史を学びます。

日本も第二次世界大戦では敗戦国となりました。

そう、日本もドイツと共にアメリカやイギリス等を相手に、戦っていたのです。

1945年にドイツが敗戦した時に、現在のポーランドやチェコ共和国周辺、バルト三国あたりを領土にしていたドイツは、約25%の国土を失うことになります。

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そして、ヒットラー思想(一部の民族だけが優れているというような選民思想)を払拭するためにも、ドイツを4つのテリトリーに分断しよう、という構想が持たれました。

この時に、ドイツは、アメリカ、イギリス、フランス、(旧)ソビエト連邦の4カ国に分割され、占領統治される歴史を歩むことになります。

この時期を、連合軍軍政期と言い、4つにわけられたテリトリーを、ドイツ語で「Besatzungszone」と言います。

正確には、1945年5月8日から、東ドイツ・西ドイツが相次いで成立する1949年までの間と言われていますが、ドイツで16州あるうち、東西南北様々なドイツ文化が存在するのも、この4ヵ国の連合軍の統治と関係があると言われています。

Wikipediaの画像でイメージを確認できます。

私の住んでいるバイエルン州は、アメリカの「Besatzungszone」でした。だからなのか理由はわかりませんが、多くの人がアメリカ大嫌いです・・・苦笑

さて、この4つの「Besatzungszone」のうち、旧ソ連に実効支配されていた部分が、終戦後、旧ソ連が物納での賠償を主張して西側3国と対立し、国の経済活動などにおける計画や考え方も異なったため、1949年に、ドイツ連邦共和国(西ドイツ:首都はボン)と、ドイツ民主共和国(東ドイツ:首都はベルリン)に分裂されました。

この時に、ベルリン地区だけは、どの国も欲しがった?!ため、ベルリンは4つの「Besatzungszone」にわけられることに・・・。

ベルリンは、旧東ドイツの中にポツンと浮かぶ離れ小島のようになっていました。

Wikipediaによると、

往来が自由であったベルリン市内の境界線を経由して東側から西側への人口流出が続き、東ドイツに深刻な影響を及ぼした。東ドイツは自国の体制を守るべく、1961年8月13日、突如として東西ベルリン間の通行を全て遮断し、西ベルリンの周囲を全て有刺鉄線で隔離、後にコンクリートの壁を作った。
このベルリンの壁はドイツ分断の象徴であり、かつ東西冷戦の象徴でもあった。

「リトルベルリン」と呼ばれるメドラロイトも東西に分裂される

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メドラロイトは、人口25人ほどのドイツのチューリンゲン州にある片田舎の村。

地図はこちら

当時東西に分かれていた時期は、村の東側には23人、西側には27人が住んでいたそうですので、現在は人口が減少しています。

その昔、ナポレオンの大戦の時に、村内を流れるタンバッハ川という小川を境界線とし、バイエルン王国とロイス=ゲーラ侯国という2つの国に分けられたのですが、この境界線は住民生活には何の影響もなく、人々は、平和な生活をおくっていました。

1945年に、ドイツが東西に分断されたときに、この小川の境界線をもとに、チューリンゲン州は、(旧)東ドイツに、バイエルン州はアメリカ軍が実効支配する西ドイツに分断されてしまいます。

1966年に、この村にも壁が建設されることになりました。

実は、2か国に分断されていた時の国境のほとんどは、フェンスや鉄格子だったのですが、ドイツでは、ベルリンとメドラロイトの2か所だけに壁が建設されました。(実際、ベルリンの壁が建設された後にメドラロイトに建設されています)

「リトルベルリン」と呼ばれるのはそういった理由から。(実際は、訪れたアメリカ人がそう呼ぶようになったとか)

旧東ドイツでは、夜間外出禁止令や、住民を監視する警察などがおり、この小さな村でも、許可なしではお互い行き来することもできませんでした。

近くの町で通勤していた近くの村人たちは、本来、数百メートルしかはなれていないにもかかわらず、仕事場まで毎日3か所の検問所を通過しないと行けなかったそうです。

親戚は2ヵ国に分断され、先日まで一緒に教会に通っていた友人とも会話することが許されていなかった・・・なんて悲しすぎます。

壁越しに、近隣住民が見えたそうなのですが、手を振ることも挨拶することも禁止されていたそうです。

Deutsch-Deutsch-Museumで東西ドイツの分断を肌で感じる

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Deutsch-Deutsch-Museumは、屋外および屋内展示を行っている博物館です。

月曜日は休館日、入館料は3ユーロでした。

屋外展示は、旧ソ連時代の戦車や、東西を分けていた壁はもちろん、フェンスや監視塔など実際に建設、使用されていたものが残されています。

私は、壁って一夜にしてある日できたものだと勘違いしていたのですが、段階を経て建設され、誰も何も言うことができなかった状況だったのだと、今回理解しました。(今更ですが!)

メドラロイトの壁も、最初はただの木のフェンスだったのですが、その後鉄条網に変えられ、最終的には1966年に旧東ドイツがベルリンの壁と同様のコンクリート壁を建設しました。

壁の全長は、700メートルで、高さは3.3メートルあったそうです。

屋内の博物館では、メディアアーカイブとして、約20分のショートムービーで、東西に分けられてしまった村の歴史を見ることができます。ほとんどの方がドイツ人でしたが、英語のムービーもあるとのことで、私達にだけ特別に別室で英語のムービーを見せてくれました。

2階部分は特別展示室になっており、車やヘリコプターが展示されています。

展示されている建物のはす向かいには、小さいですが、キオスクのようなお土産屋さんがありました。

東西ドイツのテーマはとても深く、ドイツ人の心の奥底に闇をもたらしていると感じます。

はねうさ夫と一緒にショートムービーを見ましたが、一部泣きそうな感じでしたね。

1990年6月17日土曜日、ベルリンの壁崩壊から7ヶ月遅れて「メドラロイトの壁」はブルドーザーによって、いとも簡単に取り壊されました。

その時の様子も、ショートムービー内で見ることができます。

〇Deutsch-Deutsches Museum Mödlareuth
http://moedlareuth.de/

【所在地】
Mödlareuth 13
95183 Töpen
Tel. 09295-1334
Fax 09295-1319

メドラロイトまでの行き方

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一番良いのは、車で行くことです。

レンタカーに不安がある方は、電車とバスを駆使していくことになるのですが、何せ、ベルリンとミュンヘンのちょうど真ん中に位置しており、超田舎なので、公共交通機関で行くのはかなり不便です。

ミュンヘンからICEとREと乗り継いで「HOF」という街まで行き、そこからタクシーで行くのが良さそうです。しかし、ミュンヘン~ホーフまでは約2時間半・・・。

また、ミュンヘンからホーフ中央駅までFlixbusが運航しています。

HOFから710番のKombusというバスが、メドラロイトまで運航しているようです。

Kombus
https://www.kombus-online.eu/fahrplaene/

ニュルンベルクからもREを乗り継いで約3時間。
フランクフルトからもICEとREを乗り継いで、ホーフまで約4時間。
ライプツィヒからホーフまでFlixbusが運航しています。

バイエルン州内でしたらバイエルンチケットが使えます。

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